私塾のすすめ

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shijyukunosusume.jpg齋藤孝/梅田望夫 ちくま新書(2008)

最近注目している、梅田望夫さんと、「サン=テグジュペリ 星の言葉」等で好きになった齋藤孝さんの対談。
お二人の熱い思いが伝わってきます。ネットの話はあまりないのだけれど、基本的な勉強姿勢という点で推薦します。

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戦略というと、要領よく世の中をわたっていくためのもののように聞こえるかもしれませんが、自分の人生をデザインしたり、生活スタイルを「作品」としてデザインするのは、戦略的な意識がなくては、実は難しいものです。現代は、自分の人生に対してもかなり意識的に自分自身でデザインしていく時代なのだといえます。(齋藤孝)

単に勤勉に努力するというだけでしたら、マネジメントしていく大局的な視点というのは必ずしもいらないのですが、自分自身を含んでしまっている状況全体を自分自身が見通して、そのなかで、自分の人生をデザインしていくということになりますと、単なる勤勉ではすまななくなります。つまり、見通す力のある人が、努力していって始めていろいろなことを達成できるという時代になってきていて、見通し力のない、ただの真面目さだけでは厳しい時代になってきているといえます。(齋藤孝)

「直感を信じよう」といつも言っています。自分がいいなと思ったことに自信を持ったほうがいいと。自信をもつと、そこに行動が生まれる。行動すれば情報が新しく生まれる。(梅田望夫)

学校側と親側と、二つの側面を見る必要があります。まず、この二十年くらい、「子どもというのは、大人があまり干渉しないと個性が伸びる」という考え方が、大きな位置を占めてきました。授業でも、トレーニングするということが嫌われて、算数でも一問問題を出して「考えてみなさい」というようなやり方も行われています。ところが、「考えてみなさい」といわれたとたんに、ほとんどの子は考えるのをやめてしまう。「子供というのは、問題を与えて時間を与えれば考えるものだ」という自発的思考の前提というのが、僕は間違った前提ではないかと思っています。「個性」や「主体性」の名のもとに、授業を効率的に進めるということをなおざりにしてきた面がある。(中略)学校では、その時間をただ過ごせばその時間が終わるというふうに時間割がなっている。その時間、考える作業をしたということで終われば、大義名分がたつ。ところが考える作業というのは、実はたいへん難しい。いわば、子供の能力に、教師が自分の仕事の責任を押し付けるようなかたちで、ゆるい時間をすごしてしまうということが行われてきました。

それから、家庭教育はというと、親も子どもにあまりうるさく言いません。かつての親のように、壁となって立ちはだかるような、禁止事項の権化ではない。フロイトが言うスーパーエゴ(超自我)の役割から親が逃げ出してしまった。「〜するな」「〜すべき」というような圧力をかけずに自由にのびのびやらせると、その後、活力のある自己管理のできる大人になっていくという、一種の現代的性善説で家庭教育が行われてきたといえます。本能的欲望に、超自我が制限を適度にかけることで自我が安定するわけですが、戦後生まれの親たちが、アメリカの本来のセルフメイド的な「自立」をぬきにした形で、アメリカの自由な雰囲気だけを輸入してしまって、自由放任にしておくとうまく育つと勘違いしてしまった。親世代の問題として、そういうところに、気分的に逃げてしまったということがあります。(齋藤孝)

「物理」の履修者は全体の三割程度といわれています。「選択の自由」という名の教育放棄が行われ、その後の人生の学びの「選択の不自由」に追い込むようなことが起こってきてしまいました。(齋藤孝)

ある一定量をこなさないと、質的な変化がおこらないということを信じて、量をこなすということを、まず最初の課題にしていく。(齋藤孝)

「もっとほめろよ、おまえたち」
直感を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探しをしている暇があったら自分で何かやれ。(梅田望夫)

僕は基本的に、ものごとというのは、だいたいのことはうまくいかないという世界観を持って生きていますね。だから、一個でも何かいいことがあったら大喜び。その辺がまだ十分に伝えきれていないところなのですが、世の中に対する諦観がベースにあります。人間と人間がわかりあうとか、たまたま組織の中で出会った人と人とが全人格的に切り結ぶことなんかありえない。そんなこと、はなから期待できないんだ、という思いがあります。だから加点主義というか、一個でもいいことがあったら、そこをしゃぶりつくす。一つでもいいことがあれば、その人を肯定する。全員と切り結ぶ必要はないわけだから、会わない人がいるのはまったくかまわない。自分と合う人と出会うのは、砂金を探すようなものだと思うんですよ。(梅田望夫)

実は、僕の教育論というのはシンプルで、「量をこなすことをおそれなくさせる」というやりかたなのです。自分の限界だと思っていたところから、その三倍くらいはいけるよ、と。大事なのは、「負けるということをおそれない」こと。競馬の武豊騎手が言っていましたが、彼は三千勝しているけれど、一万何回か負けている。競馬というものは負けるものなんです。(齋藤孝)

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このページは、Hiroshiが2008年5月27日 11:01に書いたブログ記事です。

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